199年2日:アラクトの辻の話-りかいする-

1人になった光の川辺に冷たい風が吹いてきて、ポーラは軽く体を震わせた。
少し前まで水の中にいた。髪はまだ湿っている。
このままでは本気で風邪でも引きそうだ。
早く暖かい家に戻って、ミルクティーでも飲んで温まろう。
一つため息をつき、自分の荷物と、アンタレスが置いていった荷物を手に取る。
そして川辺を後にした。

洞窟前通りに出て、自宅のあるアラクトの辻方面を見ると…街灯の下に長身のシルフィス・ティルグ員の男が1人、立っていた。
見慣れた長身、普段から少し不機嫌そうな顔つき、細身の赤眼鏡。
それは紛れもなく、家で子供たちと一緒に自分を待っているはずのポーラの夫、ジャメルだった。
「あ…。
 ジャメルさん…どうして…?」
「アンタレスに聞いた。
 …帰るぞ」
「うん…」
ジャメルはポーラの荷物を手に持ち、家に向かって歩き出した。
ポーラも黙ってそれに続いた。

普段なら自分のペースで先を行くジャメルだが、この日は珍しくポーラの歩調に合わせてくれた。
結果、2人で並んで歩く形になる。
無言で洞窟前通りを抜け、アラクトの辻を通り抜ける。
そこでようやく、ポーラが口を開いた。
「ジャメルさん…さっきの、聞いてました?」
「最後の方だけな」
すぐに返事が返ってきた。
その声も、口調も、普段と変わらない。
いつもと同じ調子の彼の言葉に、何故だか少し、泣きたくなった。
感情のままに、少しだけ、弱音を吐く。
「私…やりすぎちゃったのかな。
 気にかけすぎちゃったのかな…」
「大人が子供を気にかけるのは、当然の事だ。
 そんな子供が大人に憧れるのも、仕方の無い事だ」
「…ジャメルさんも、経験ある?」
そう続けると、少しだけ沈黙が帰ってきた。そして、
「まったく同じ経験は無い。
 でも…もしかしたら、今考えると、
 オレにとってリタは、そういう相手だったのかもしれない」
それはポーラにとって、少し意外な言葉だった。
「リタさんが…?」
リタは、ジャメルがポーラと付き合う前から恋人関係にあった女性。
去年別の人と結婚し、もうすぐ子供も生まれるが、実はジャメルがリタと『明確に』関係を解消したのはポーラたちが結婚してから1年後の事だった。
その後もいろいろあったが、今ではリタはポーラの親友だ。
「オレが1人になった時、リタは既に成人していた。
 子供の頃は一緒にいた事もあって、気にかけてくれていたよ。
 だからオレはずっとリタを見ていたし、成人してから付き合うようにもなった。
 ベネットとは微妙に違う。
 でも、ベネットの今の気持ちは、わからなくもない」
まあ面白くは無いけどな、と、小さく付け加える。
ポーラは小さく笑った。
「…私はちょっと、おかあさんみたいな気持ちでもあったんだけどな…」
「この国では、たとえ孤児相手であったっとしても。
 母親代わりにはなれても、母親そのものにはなれない」
「そうなんですけどね。でも…やっぱり…」
「気にするな。
 あれだけはっきり言ったんだ。
 多分、ベネットはもう、納得していると思う」
「うん…」
ふと、ポーラは気付いた。
今のジャメルは珍しく口数が多い。
いつものように、ただ傍にいてくれるだけでもいいのに。彼なりに少しずつ言葉を選び、彼女の気持ちを浮上させようとしてくれている。
今は、それがとても嬉しい。
横を歩きながら、ポーラはそっとジャメルの手を取った。
チラリとポーラを見たジャメルは、視線を前に戻しつつも、その手を軽く握り返してくれる。
そのまま、寄り添って歩いた。
「…ありがとうございます。
 次にベネット君に会った時は、昨日までと同じように普通に話せると思います」
「そうか」
正直、ポーラはまだ悩んでいる。
こうは言ったけれど、この先本当に今までと同じように接する事ができるのか、自信はない。
もしかしたら、なんだか妙にぎこちなくなってしまうのかもしれない。
でも。あの日自分は決めたのだ。
彼女に託されたものを、頼まれた大事なものの一つを。
こんな形で投げ出す事はできない。投げ出す気にはなれない。
だからこそ、自分からも託す。いちばん頼りにしている人へ。
「…ジャメルさん」
「何だ?」
「ベネット君、シルフィス・ティルグ員ですって」
「知ってる。今日、結隊式で見たからな」
「私はティルグでは多分何もできないから、
 ベネット君を見てあげてね。
 もちろん、時々でいいから」
見上げながらそう言うと、ジャメルは軽く驚いたようにポーラの方を向いた。
「…お前は本当に…」
「え?」
問い返すと、ジャメルはため息をつきつつポーラから目をそらした。
「…いや、なんでもない。
 安心はするけど、軽く同情もするってだけだ」
「どういう事ですか?」
「気にするな。
 ほら、もう家だ。
 2人が待ってる。いい加減いつものお前にもどれ。
 …あの2人にとっては、お前は『本当に母親』なんだから
 そんな顔見せて心配させるんじゃない」
「あ、うん、頑張ります」
ポーラはつないでいた手を放し、両手で軽く頬を叩いて気合を入れた。
頬から手を離せば、そこにいるのは、いつもどおりのポーラ。

 

暖かい家は、子供たちの待つ家は、もう、すぐそこ。

 

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***

照れ隠しと言う名のコメント

珍しくジャメルさんの方が饒舌なんじゃないかってターン。
もちろん、まるっと捏造です。
最初のプロットでは、このページそのものがありませんでした。
でも1を書いている間に「いいからオレにもしゃべらせろ」と、ジャメルさんが脳内で珍しく自己主張をしてきた結果生まれたシーンです。
…なんだ、アンタやりゃあできるんじゃん。(超失礼な中の人)

 

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