195年7日:ローク・エルグ長邸宅の話-驚動-

恋人の家で、恋人の作ったジャムパンとフルーツミルクという、いろいろな意味で甘い朝食の後。
「ジャメルさん。これ、お返ししますね」
衝動も空腹感も治まったオレにポーラが出してきたのは、オレの家の鍵だった。
「…いらないのか」
「ううん。
 持ってるとそれだけでうれしいから、
 ホントはずっと持ってたいんですけどね」
そう言って、1度は出した鍵をそっと握り締める。
「…でも、それはダメでしょ?
 明日、あの家はジャメルさんの家じゃなくなるから
 『自分の家』じゃない家の鍵を持ち続けるわけには
 いかないんじゃないかなぁ、って。
 私も持ち続ける事はできないのかなぁ、って」
「そうか…確かにそうだな」
うなづいて、彼女から鍵を受け取り、自分の使っているものと合わせて持った。
「…淋しくないですか?」
「淋しい? 何がだ?」
「だって、今までずっと住んでいた家から離れる事になるんですし。
 もしかしたらもう一生あの家で過ごす事もないかもしれないんですし。
 ずっと使っていたその鍵とも、明日でお別れですよ」
「それはそうだけど、淋しいとは感じないな」
実際、それは正直な感想だった。
自分が何処で暮らす事になろうと、何処から離れる事になろうと、なんら変わらないと思っていた。
だが、彼女は違ったらしい。
「そんなもんかなぁ。
 なんか、私の方が淋しくなってきちゃいましたけど」
「…なんでお前が淋しくなるんだ」
「だって。
 あの家は、私の知らない昔のジャメルさんをたくさん知っているんですよ。
 私に会う前のジャメルさんも、それこそ、子供の頃のジャメルさんも。
 そんな思い出に会えなくなっちゃうのは、ちょっと切ないな…」
思い出か…。
手の中の鍵を見る。
今までずっと手元にあったそれは、何も言わない。
この鍵と共に、手放す事になる過去。
もうおぼろげにしか覚えていない両親との思い出も、1人だった頃の思い出も。全てあの家と共に置いていく事になる。
オレは軽く首を振った。
「過去は大事だが、それ以上にこれから先が大事だ。
 過去は、形として残っていなくてもかまわない。
 物は無くても、記憶は残る。
 オレがいて、オレが覚えている。それだけでいい」
この鍵を手放す代わりに、違うものを手に入れる。
その一部は、既にもらっている。それもやはり、『鍵』と言う形で。
気がつくと、ポーラがオレの方を向いてニコニコと笑っていた。
「…どうした?」
「そういう大事ないろんな事、この先、少しずつでいいから
 私にも聞かせてくださいね」
「…時間があったらな」
「時間なら、たくさんありますよ。
 明日からはずっと一緒ですからね。
 もちろん私の事も話しますよ?」
「ああ、わかったよ」
そう言って、オレは席を立った。
「さて…。少し長居したな。そろそろ帰るよ」
「あれ、そうですか?
 この後、一緒に遊びに行くんだから、
 別にこのままここから行っちゃってもいいんじゃないですか?」
…それを聞いて一瞬、直で行くのもいいか、とも思ったが。
「いろいろあるんだよ、オレにも」
脇の椅子にかけてあった帽子を手に取った。
「そっかぁ…。じゃあ、やっぱり王宮前大通りで待ち合わせですね。
 …あっ! 今日はお昼過ぎからエルグでお仕事があるから
 できれば早く来てくださいね!」
「仕事? ああ、今日は放生の日か。
 …どっちにしても、いつも朝のうちに行ってるだろ。今日も行くよ」
「…その反応って事は、やっぱりシーラ・エルグには行かない気なんですか?」
「オレは仕事には興味ないんだよ」
「まぁ、ジャメルさんティルグの方が大事っぽいですし、
 基本、参加も自由なんでしょうから、いいんですけど…」
なんだか微妙に釈然としない表情をされた。
違うエルグとはいえ、彼女はエルグ長。勤務態度は少し気になるらしい。でも、何を言われても、オレは今の行動を改める気は無い。
手に持った帽子をかぶり、扉に向かう。
「じゃあな」
「あ、ちょっと待ってください」
扉の前で呼び止められて振り向くと、ポーラが自分に向かって走ってきた。
「何だ、どうした?」
「あのね…チューしてほしいな」
「…え?」
いつもの気の抜ける笑顔と共に言われ、一瞬対処に困る。
朝の件の後なのに、まさかポーラからねだられるとは思わなかった。
「本気か?」
「本気ですよ?
 ただ、えっと…できれば、さっきのみたいのじゃなくて、いつもの感じで」
そう言われて、少し安心した。
「やっぱり、その方がいいのか」
「んー、アレがダメなんじゃなくて。
 ああいうの何度もされたら、私、身が持たないです。
 ドキドキしすぎて、たぶん倒れます。
 ああいうのは回数制限がある感じで!」
「お前…そういうのをさらっと言うな…」
それはつまり、今朝のオレはポーラが倒れそうになる事をしたんだと、遠回しに言われているようなものじゃないか。
…否定はしない。できるはずもない。
「…ダメ?」
答える代わりに、見上げる彼女を抱き寄せた。
そしてその後には、彼女の望む、やさしいキスを。

帰りがけのキスの後。
彼女を抱き寄せたまま、無意識に言葉がこぼれ出た。
「ああいうのは、明日以降だな。
 …それから、続きも」
自分の口から出た言葉に、自分で驚いた。
ん…?
どういう意味だそれは。
どう考えても『そういう意味』にしか取れないだろこれは。
いやいやいや、そういう意思は…も、もちろん、いくらなんでも全く無いわけじゃないけどだな。よりによってこのタイミングで何を言い出すんだオレは。
腕の中のポーラが不思議そうな顔で見上げてきた。
「…続き?」
「いや、聞かなかったことにしてくれ!」
即座に打ち消した。
「…? 別にいいですけど…」
「…」
「…ジャメルさん?」
な、何だこの緊張感。
今の自分は、誰が見ても挙動不審だと思う。
「いや、なんでもない。なんでもないんだ」
慌てて彼女から体を離し、扉を開ける。
「後で、大通りに行くから!」
それだけ言って、その場から退散した。
家の中から少し困惑気味の声が聞こえてきた気がしたが、聞かなかった事にした。

 

扉を閉めて、全身で息をつく。
…1度帰る事にしておいて、助かった。
あの失言の後でそのまま一緒にい続けるとか、無理だ。
幸い、ポーラが扉を開けて追いかけてくるという事は無く。扉の前から遠ざかる気配と共に、朝も歌っていたあの歌が小さく聞こえてきた。
軽く頭を振って動揺を追い払い、とりあえず自分の家に向かって歩き出した。
歩きながら、さっきの彼女の事を思い返す。
(それにしても、とぼけすぎじゃないのか)
(あれだけあったら、いくらなんでも少しは『そういう反応』をするんじゃないのか)
自分でも、さっきまでの言動は、相当アレだったと思う。
正直、いつもの自分とはまったく異質の物だった。
今すぐに今朝の記憶の全てを抹殺したい。何も無かった事にして、最初から全てやり直したい。そんな気分だ。
…だけど。
シンザー通りに出る直前に立ち止まり、振り返る。
視線の先には彼女の家。
なんとなく、だけど。
いつもの彼女なら、オレのあの「続き」発言に対してすら『そうだね』とあっさりと返してきそうな気もした。
それでなくても毎回、オレの方が『大丈夫なのかこの娘は』と心配になるほどに、こちらの要求を片っ端から了承している娘だ。
失言だったとは言え、聞き返されるとか、想定外だった。
(何も知らないなんて事は…いや)
ふと、頭に浮かんできた可能性を打ち消した。
(見た目は子供のようだけど、中身、というか知識まで子供って事は、ないよな)
成人直後ならともかく、彼女もオレも『大人』として既に3年以上を過ごしている。
その間、いくらでも知る機会はあったはずだ。
彼女は友人も多いのだから、それこそ酒場とかで飲みつつそういった話になだれ込む事もあっただろう。
自力で知るのなら、あの青い表紙の本もある。
(まさか…な)
視線を戻し、今度こそ帰宅する為に歩き出した。

 

 

その『まさか』だったという事をオレが知るのは、翌日だった。

 

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照れ隠しと言う名のコメント

ゲーム内史実では、独身最後のデートに行った際、西公園でポーラからチューしてるんですけどね。
デートまで書くとちょっと冗長な気がした(って言うかすでに無駄に長めorz)なので、家でした事にしました。
…もちろんその後の「しつげん」は無かったですよ?(笑)

 

ラスト付近でジャメルさんが、可能性の一つとして『青い表紙の本(大人の教科書)』に触れてますが。
ポーラはアレ、読んだ事ないです。
って言うか、結婚前にあの本がうちの国に流れ着いた事ないです。
結婚後は、試しに専用棚にしまってみたらジャメルさんにソッコーで持ち出されました(笑)。
うん。あの本、ポーラには縁が無いんだよ!

 

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