194年25日:アラクトの辻の話1 -彼の不安-

アラクトの恵み亭を出たジャメルは、とりあえず西へと向かった。
ポーラの家はメイビ区にある。
ここから家に帰るのであれば、アラクトの辻を通って洞窟前通りへと抜けるルートが最も近い。
彼女は決して歩くスピードが早い訳ではない。充分に追いつけるはずだ。
しかし、崖前通りからアラクトの辻に入っても、先を歩いているはずのポーラの姿は見つからなかった。
(他の道を選んだんだとしたら、アウトだな…ん?)
一つため息をついて足を止めたジャメルの耳に、かすかな声が聞こえてきた。
光の湖の方から聞こえてくるそれは、聞きなれた彼女の声。
(そういえばよく、ここで歌っていると言っていたな…)
ジャメルはそっと湖の方へと歩き出した。

 

近づいて行くと、少しずつベンチに座っているポーラが見えてきた。
そして、彼女の歌う歌の内容も聞こえてきた。
彼女の歌う歌は、いつも異国の歌。
ナルル王国に移住する前に暮らしていたらしい故郷の歌。
その曲は、この国で暮らしている者にとっては馴染みがない旋律。
だが不思議と、心に響く歌だった。
明かりの灯る家へ帰ろう。今日がどんな日でも、誰にも同じ朝がやってくる…と続く歌だった。
その歌には、「甘やかな恋」などない。
彼女の愛情表現はとてもストレートで、むしろわざとらしく感じる事すらもあるのに、彼女の歌に恋愛感情が入る事はごく稀だ。
のびやかに歌う彼女。
彼女の心が歌に現れているのだとしたら、本当の彼女はそういった感情が薄いのかもしれない。
彼女に気付かれないような程度の距離を置いて、ジャメルはそのまま黙って歌を聴いていた。

 

曲が終わったところで「…ポーラ」と呼びかける。
ベンチに座っていたポーラは飛び上がらんばかりに驚き、振り返った。
「ひゃっ? じゃ、ジャメルさん? いつからいたんですか?」
「今の歌の途中からだ」
「ええーっ! 早く言ってくれればいいのにー」
「さっきはこっちが驚かされたからな。これくらいやってもいいだろう」
「うーん、そうなんですけどねぇ…。
 でも、何で?
 まだ恵み亭でアルキサさんと一緒に飲んでいるのかと思ってました」
「そのエミリアンに追い出された。
 『いいから送っていけ』と」
「あらら。
 私は嬉しいんですけど、ちょっと申し訳ない事になっちゃいましたねぇ」
そう言いながらポーラはいつもどおりの笑顔をジャメルに投げかける。
そして、婚約者の様子に気がついた。
クリステアの尖塔の光が、かすかにジャメルにまで届いている。
しかしその表情は、帽子の影になって見えない。
見えないけれど。それでも、なんだかちょっと、いつもと違うように見えた。
「…?
 ジャメルさん、どうかしま…」
「ポーラ。
 お前、ホントにオレでいいのか?」
疑問は、別の質問で遮られた。
「え? 何がですか?」
「お前…もしかして、『家族が欲しい』だけなんじゃないのか」
「それは欲しいですよ。
 一人でいるよりずっといいですからね。
 誰かがいてくれる家って、アコガレですね」
「だから…だから、
 その相手はオレじゃなくてもいいって事なんじゃないのか…?」
思ってもみない事をいきなり言われ、ポーラは目を大きく見開いた。
「え…ちょ、ちょっと待ってください!
 『家族が欲しい』のと『相手がジャメルさんじゃなくていい』ってのに
 全然つながりが見えないんですけど!」
「…」
「…もしかして、結構酔ってます?」
「少しは飲んだが、理性がなくなるほどじゃない」
「うーん…」
ポーラは軽く混乱した。
どうしよう。
どうしよう。
こんな弱い、自信無さ気な彼の姿は見た事ない。
自分の恋人はいつも、口数は少ないながらも自分の事を真っ直ぐに見ていてくれる人で。
いつでも自分を引っ張って行ってくれているような、側にいるだけで安心をくれるような、そんな人で。
今までずっと一緒にいてシアワセだったから、まさかこんな事言われるとは思ってなかった。
でも、これは。この件は多分、放っておいたらきっと後悔する。
ポーラは横の席をポフポフと叩いた。
「座りましょうジャメルさん。
 なんかこの件についてはしっかりお話しないといけない気がしました。うん」
「だけどもう時間が遅い…」
「まだ大丈夫です。座りましょう」
確かに彼の言うとおり、少し時間は遅めだ。
だけど、ここは引けない。むしろこういう時は、自分が押した方がいい。
それまでの経験から、ポーラはそう判断した。
改めて自分の横をポフポフと叩く。
一瞬の躊躇の後、ジャメルが近寄ってくる。そして、すぐ横に座った。
2人の目の前には、光るクリステアの尖塔。
いつもならここはピッタリ寄り添って座るところだが、今日はほんの少しの隙間。
ポーラから近寄る事もできるが、今日は、今は、別。
物理的な問題ではない。知らないところで開いてしまった心の隙間をこれから埋めないといけない。

 

「えっと、何でそんな話になったんですか?
 1つ1つ教えてくれると、ちょっとわかるかも」
「ああ…」
聞かれるがままに、ジャメルは1つ1つ、自分の中に生まれてきたキーワードを上げていく。
自分がいたのは想定外とは言え、気付かないポーラ。
自分の見ている笑顔を、親友やただの知人にすら向けているポーラ。
友人の「誰と話してもニコニコ返してくれる」と言う言葉。
恵み亭での『そのまま家に帰っても、寂しいだけですからねぇ。1人だし』の言葉。
そしてさっきの曲。
それはつまり、寂しくないのであれば、側にいるのは誰でもいいという事でもあるのではないか。
明かりの灯る家で待っている相手は、誰でも構わないのではないか…。
そこまで聞いて、ポーラは軽くため息をついた。
「…やっぱり酔ってますねぇ。
 思考の飛躍が見えますよ」
「だけど、オレは…」
「例えば私が他の誰かに対して『ダイスキー!』とか言ってたのを見たのなら
 その展開もわからなくは…。
 でもやっぱり、誰でもいい、って話になる理由はやっぱりよくわかんない…」
「『大好き』についてはさっきも酒場で…」
「え、ええ? メアリーさんもカウントされちゃうんですか?
 今の酒場のマスターですし、なにより女性ですよ?」
「…」
(えっと…重症?)
ポーラはちょっと困ってしまった。
理由として挙げられた物、それぞれについては、彼女の普段の行動そのままだ。
いつも、誰に対しても、自然に出てくる「笑顔」。
移住してきてからここまでずっと一人だった事もあり、家の外で仕事仲間たちと一緒にいるのは、正直楽しい。その分、1人でいると、寂しい。
さっきまで歌っていた歌も、故郷で好きだった歌のうちの1曲であり、特に意味を持って選び、歌った訳ではない。
それに、故郷にいた頃のポーラはまだ子供で、その頃覚えた歌はあまり恋愛物自体が多くない。
ただ、それら全てをひっくるめて、さらに想定外の方向に思考を持っていかれてしまうと…。
でも、思考の遷移はどうあれ。原因が自分にあるのなら、解決する事ができるのも自分だけ。
どうすればいい?
どうすれば、彼をいつもの彼に引き戻せる?
「…うん。とりあえず、わかってもらうしか、ないかなぁ」
そうつぶやき、ポーラは立ち上がった。
ジャメルの前に正面を向いて立つ。
「ポーラ?」
ポーラは何も言わずにジャメルの帽子を外す。今まで影になっていたちょっと弱気になっている顔が、クリステアの光に照らされて明るく浮かび上がった。
外した帽子を自分でかぶり、両手を彼の頬に添える。
「何…」
そのままポーラから、キス。
唇に触れる、相手のやわらかい感触。
「おま…」
「しっかりしてくださいジャメルさん」
少しだけ離れて、でもまだ呼吸すらもかかりそうな位置でポーラはささやく。
「…あのね。
 確かに私が欲しいのは、家族。
 でも、家族が欲しいな、って思ったのは
 ジャメルさんと一緒にいたいから、なんですよ」
ジャメルからはポーラの顔が、逆光になってよく見えない。
どんな表情をしているのかも、どんな感情が表れているのかも。
ただ、感じるのは、普段の彼女とはちょっとだけ違う空気。
「いつも一緒にお出かけしたりして、すごく楽しかったし、うれしかったですよ。
 あの日ここで『一緒にいる時が一番シアワセ』って言った時の言葉も、もちろん本当。
 その、一番シアワセな状況を、一緒に続けていきたかっただけです。
 だから、家族になるのは誰でも良いワケじゃないんです。
 一番シアワセな、ジャメルさんと一緒に家族になりたいんですよ」
「…」
彼女の『普段』の愛情表現とはどこか違う、穏やかな言葉。
それは不思議と、心の中にするりと入り込んできた。
心の中の、一番奥底まで。
ジャメルは目を閉じ、深く息を吐き出した。
「そうか…」
「…もしかして、やっぱりちょっとは、不安でした?」
「ああ。
 お前はこの国では掲示板に載るほどに人気者だからな。
 わかってはいたつもりだったが、実際に誰に対しても笑顔でいるお前を見たら、少しな」
「大丈夫ですよ。心配しないで
 これからも多分、私は今日と同じように皆さんと接するかもしれません。
 でも、私が帰る場所は、ここですから」
そう言いながらポーラは、かぶっていた帽子を外し、「えいっ!」という声と共に、両手で少しだけ乱暴にジャメルの頭に乗せた。
「うわっ!」
慌てて自分でかぶりなおしている間に、ほんの少しだけ離れるポーラ。
「でも、今言った事って、私がいつも言ってる事なんですけどー。
 全然伝わってなかった、って事ですか?」
「いや、ちゃんと聞いてる。
 だけど、なんだか…本心だとは思い切れなかったんだろうな。
 それっぽく作られた言葉、そんな感じがして」
「ええー?」
「普段の言い方のせいかもしれないな」
「…ひどっ」
軽く頬を膨らませた婚約者を見て、ジャメルは薄く微笑んだ。
彼の感じていた不安を解消する物は、もうずっと前から彼女の中にあったのだ。
彼女から、常に送られ続けていたのだ。
ただ、伝わりきっていなかっただけで。
受け止め切れていなかっただけで。
少し膨れていたポーラも、すぐに笑顔になった。
「一応私としてはちゃーんと分けてるつもりだったんですけどね。
 他の皆さんと話す時が笑顔なのはまぁ当然なんですけど、それだけですよ。
 他の方は知らない。ジャメルさんしか知らない事、きっと、結構あるんですよ?」
「オレだけしか、知らない事、か」
「そう。『とくべつ』です。
 だから私としては、逆に、私しか知らないジャメルさんを見つけるのもちょっと魅力的だったり。
 もちろん、ホントに私しか知らないのかどうかは、わからないんですけど。
 …あ、そういえばちょっと今も発見」
「今?」
疑問系のその言葉には答えず、ポーラはさらにジャメルから離れた。
彼に背を向けて柵に寄りかかり、光るクリステアの尖塔を眺める。
そして、独り言のようにつぶやいた。
独り言の割に、後ろにいるジャメルにもちゃんと聞き取れるように。
「…よく考えると、私の方が見下ろしてチューって、初めてですよね…。
 ふーん…。見下ろすと、あんな感じで見えるんだ…。
 何ていうか、ちょーっと、可愛かったなーって言うか…」
「…!」
思いがけない恋人からの間接攻撃に、ジャメルは違う意味で動揺した。
か、可愛い? 何が? 誰が?
ジャメルの方を見ていないポーラは、さらに続ける。
「なんか微妙に赤くなってるみたいに見えたしー。
 普段は顔が遠いから、イマイチわからなかったんですよねー。
 場合によっては眼鏡光っちゃって表情すらわかんなかったし…ふぅ~ん…」
「ちょ、ポーラ!」
慌てたような呼びかけに答えるように、ポーラはくるりと振り返る。
そして、ほんの少し赤い顔で、いつものようにふにゃんと笑ってみせた。

 

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***

照れ隠しと言う名のコメント

婚約後のアラクトの辻、その1。

ポーラの歌っていた曲としてイメージしたのはZABADAKの「Tin Waltz」です。
元の曲は単なる「さぁ今日も終わったよ! おうちに帰ってまた明日」な曲です。家族が云々とか歌ってないです(笑)。キーワードだけ借りました。
後、ポーラは歌が激ウマ、ってワケではありません。人並みよりちょっと上くらい?
ただ、よく歌っているんで、声の出し方は心得ているんじゃないか、って程度です。

…で。
えー、個人的な見解ですけど。
ジャメルさんは、表現はあんまり上手くないんですけど、ポーラに対してデレッデレだと思ってます。
で、ポーラの方は全身で「ダイスキー!」を表現してはいるのですが、むしろ全力過ぎてホントにそうなのかを怪しまれるレベルなんじゃないかと(笑)。何ていうか、わざとらしい?
ポーラは基本の話し方が「キャッキャウフフ系」(わからん)なので、普通に友達になったりするのにはノリ的に有利ですが、本心が伝わりにくい、という欠点も持っています。
ぶっちゃけこの2人、どっちも相手に対して「大事な事」を伝えるのが不得手なんですね。
って事で、ジャメルさんに苦手な表現を頑張ってもらうと同時に、ポーラにはちゃんとした形で「アナタの事考えてます」って気持ちを表現してもらおうと思いました。
まずはこんがらがったジャメルさんの思考をほぐす為に、ポーラが普通の言葉で伝えてみました。
しかもポーラからのチューは問答無用です(笑)。なんてヤツだ。ジャメルさんだって一応は確認するってのにね(笑)。
この後は、ポーラの不安を、ジャメルさんにぶっ飛ばしてもらう方向で。

…とは言っても、中の人自体がそういう表現法についてとても得意ではないので、既にくじけそうです(笑)。

 

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