192年半ば:彼女の話 -はじめての。-

「こんにちは!」
「仕事、はかどってる?」
「スターさん、元気かな?」
「ごめんごめん、そんなつもりじゃなかったんだ」
「行きたいでーす!」
「あなたといると楽しいな」
「調子はどうだ?」
「お互い頑張ろう~♪」
「飲みに行かない?」

 

シンザー区1-2は、この年の3日に移住してきたポーラ・スターの家だ。
シンザー区1にある家は5軒。その中で人が住んでいるのはこの家だけ。
「…ハァ…」
深夜、この家に1人帰ってきたポーラは、誰に聞かせる事のないため息をついた。
もたもたと部屋着に着替え、そのままベッドに突っ伏す。

ロークの畑にいると、楽しい。
移住して半年。
まだいろいろとおぼつかない自分を、みんなが少しずつ気遣ってくれている。
ポーラを見て笑いかけてくれる人も増えてきた。

酒場にいると、楽しい。
夕食はほぼ毎日アラクトの恵み亭で済ませている。
ここにいると、いつも一緒に働いているロークの人たちが、わけへだてなく接してくれる。
突然陽気に絡まれて、一緒になって歌ってしまいたくなるような事も増えてきた。

のんびりと国内を散策するのは、楽しい。
王宮前大通りのソワソワ感。
市場前のざわめき。
ティルグの熱気。
ほんの少しだけ雰囲気の違うシーラル島。
何時、何処に行っても、誰かがいる。
みんな違う、それぞれの「生活」をしている人たちを眺め、時には同じ事をしてみたり。
そうしていると「誰か」がやってきて、声をかけてくれる。
他愛ない挨拶をしてくれる。
知らない事を、教えてくれる。

この国の人たちはみんな、いい人たちだ。

 

でも。

 

いつも周りにいる人たちは、『知っている人』の域を出ない。
そんな人たちとのやり取りは好きで、ポーラはいつもニコニコしている。
だけど、なんだか違う。
楽しい空間から離れて、たった一人でこの部屋に戻ってくると、どうしようもなく寂しくなる。
住んでいた国を出て、「何かが変わるかも」と移住してきたナルル王国。
半年近く経った今でも、たった一人のこの部屋が、少しだけ寒くて。
「…寂しいな…」
枕を抱えてポーラはつぶやく。
誰かを特別だと思いたかった。
誰かに特別だと思ってもらいたかった。
今はまだ、そんな相手は見つからない。
ただ一人、広いベッドで眠るだけ。

 

彼女はまだ、知らない。
これから自分がこの国で、誰とめぐり合い、共に歩んで行く事になるのか。
誰と笑いあい、誰と泣き、誰を愛し、そして愛されるのか。

まだ、知らない。

 

 

「…あたしもいい感じかも」
192年14日。
酒場帰りに一緒になったエルグ長に話しかけてみたら、そんな答えが返ってきた。
「えっ…?」
「えっ? じゃないわよ。
 あなたといるとあたしも楽しい、って言ったの」
「あ、ありがとうございますウィールクスさん!」
「ナディアよ」
「え?」
「あたしはナディア。
 あたしの事を友人だと思うのなら、これからは名前で呼んでちょうだい、ポーラ」
それは、この国で初めてともだちができた瞬間。
そして相手からもともだちだと思われている証拠。
少し前から自分の事を名前で呼んでくれていたのに、その意味に気付いていなかっただけ。
「…うん! ありがとうナディアさん!
 それじゃあまた、明日!」
どうしよう。すごく、うれしい。
満面の笑みを浮かべて、ポーラはくるりと身を翻した。
家への道を走り出す。
たった一人で眠るあの家も、今日からはきっと寂しくない。

 

これが、最初の1歩。

 


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