194年13日:国立競技場の話-あなたの場所-

ローク・エルグを出たポーラは、まずはヤァノ市場へ足を向けた。
買い物客でごった返す市場の奥にあるナンデモ屋へ向かう。
手持ちのワクマを全て売ったら、かなりの額になった。
膨らんだ財布を握り締め、あらためて商品を見ると、応援用道具と言うのは結構な量揃っているようだった。
どれも手ごろな金額で、手に取りやすい。
「ジャメルさんはシルフィス・ティルグなんですよね…」
ポーラは『風の花びら』と『風のクラッカー』を1つずつ購入した。どちらもシルフィス・ティルグ応援用らしい。
ジャメルが普段身につけているティルグ服の色をした2つの道具。
「軍資金、普通のワクマ1つ分で十分でしたね…。まぁいっか」
必要以上に懐も暖かくなったポーラは、買った道具を鞄につめて、そのまま国立競技場へと向かった。

 

ゆっくり歩いてきたつもりだったが、国立競技場に着いた時はまだ誰もいなかった。
無人の競技場は、空気も心なしかひんやりとしている。
昼に向けて暑くなってきた外と比べると、その冷たい空気が心地よい。
ほとんど足を踏み入れた事のない競技場内を、ポーラは1人、ゆっくりと歩いた。
天井の高い石造りの建物の中に、足音のみが響く。
階段を上って、柵から下を見下ろすと、今日試合が行われる立派な舞台が見えた。

今までにポーラが試合を見たのは、2回だけだ。
1回目はこの国立競技場で開催されていたエレナ女王杯。
その時試合をしていたのは、ポーラにはあまりなじみのない王族の方々だった。
2回目は、ジョシュアが『友人』に戻ってから見に行ったグラウス騎兵隊のティルグリーグ戦。
これはシルフィス・ティルグの競技場で開催された。
この時初めてジョシュアの試合を見たのだが、武術についてほとんど何も知らなかったポーラから見ても、ジョシュアは強かった。
力押しではなく、相手の攻撃をかわしながら技を繰り出す。その試合運びの的確さに少し感心した。…だからといって、別れた事を後悔はしなかったが。
どちらも、試合当日に偶然見に行った程度だったので、本格的に観戦するのは今日が始めてだ。
それぞれのティルグにある競技場は、ポーラも練習試合で使った事がある。成人した国民なら、開いている時間なら誰でも使用可能だ。
でもここは、そう簡単に立ち入れる場所ではない。
ごくごく一部の人のみが足を踏み入れることを許される場所。
今のポーラには絶対に立てない場所だった。
(…そっか。ジャメルさんはここで試合をするんだ…)
もう1度、見下ろす。
距離はそんなに遠くない。ほんの数歩でたどり着けそうな場所。
でも、心理的な距離はとても遠い。
そして、その舞台を含むこの競技場も、ポーラにとっては、異世界。
(ここはなんだか、私がいていい場所じゃないみたい…)
柵にもたれかかって舞台を見下ろしながら、ポーラはなんとなく居心地の悪さを感じていた。

「…あら、珍しいですね。
 ここでポーラさんにお会いするなんて」
突然、品の良い、それでいて力のある声が聞こえてきた。
慌てて声の方を見ると、この国の女王であり、ポーラの友人でもあるアントワーヌ陛下が階段を上ってくるところだった。
「あ、アントワーヌ陛下。
 ご機嫌いかがですか?」
「ありがとう。
 おかげでとても良いのですよ」
微笑を浮かべてポーラの元までやってくるアントワーヌ陛下は、今この国でもっとも高齢の女性だった。
老いてもなお威厳と優しさの失われていないその存在感は、このナルル王国民全ての心の支えでもある。
そんな彼女は、ポーラが入国した当初からよくポーラを気にかけてくれていた。
ポーラもこの女王陛下を、一国民として、そして1人の友人として大切に思っていた。
「今日はどうしたのですか?」
「試合の観戦に来たんです。
 きちんと応援しに来た事がなかったので、ずいぶん早く着いてしまったんです。
 それで、せっかくですから普段はあまり見ないこの競技場の中を見学していたんです」
「あら、そうだったの。
 どんな風に感じたのかしら?」
「…なんていうか、すごいです。
 重厚、って言うのかな。この国の歴史の一部を感じたのよ。
 なんだか、私がいてはいけないみたいな気分にもなっちゃいました」
もはや、女王陛下に対する言葉遣いではない。友人に対するそれになってしまっている。
そしてそれを陛下は許容している、と言うよりも喜んでいるようでもあった。
「フフ、そんな事はないですよ。
 舞台には上がれないけれど、いつでもここには来ていいんですよ。
 …ポーラさんの国には、こういった建物はなかったのですか?」
「なくはなかったです。
 でもそこは、ここのように試合が行われるだけではなかったんですよ。
 建物の雰囲気ももう少しだけ柔らかくて、子供が舞台に立つ事もありました。
 …試合ではなくて、発表会とかでですけど」
「あら、ここにも子供達が立つことはありますよ」
「そうなんですか?」
「子供達だけの試合も開催されるんですよ。
 でも確かにそうね。ここに立つのは『試合』をする人だけね。たとえ子供でも」
アントワーヌ陛下はそう言って、ポーラに微笑みかけた。そして、
「もっとお話をしたいけれど、そろそろ試合が始まってしまうわね」
と続けた。
気が付けば競技場内にはたくさんの観客が集まり、試合開始を待っているところだった。
「あっ、皆さん集まってらしたんですね。
 私もそろそろ下に行きますね」
「この国の騎士達の試合、楽しんでいってね。
 …今度、時間のあるときにでも、ゆっくりお話しましょうね」
「はい!」
アントワーヌ陛下の優しい言葉に笑顔を返し、ポーラは観客席まで階段を駆け下りた。

観客席に着くと、ポーラは集まっていた人々の隙間に上手くもぐりこんだ。
ポーラの顔見知りも何人か観戦に来ていた。彼らと軽く言葉を交わしつつ、試合開始を待つ。
…やがて、壇上に審判と2つのリーグの選手が姿を現した。
今日はシルフィスのイクルス騎士隊と、ノームスのガンテス騎士隊の対戦らしい。
(…ジャメルさんだ。ホントにいた)
ポーラの見上げた先には、毎日話をする恋人の姿。
他の2人の騎士と共に、観客席の方を見て立っている。
その表情は、普段の少し不機嫌そうな物とあまり変わらないが、なんとなく緊張を含んでいるようにも見える。微妙に動きが硬い。
その視線が少し動き…ポーラの視線と重なった。
(あ、見つかった!)
思わず、いつものとおりにふにゃんとした笑顔を返した。
ジャメルはそれを見てほんの少しだけ口元をほころばせ、すぐに視線を外して元の表情に戻した。
だが、そこにはもう硬さはない。普段どおりの彼だ。
いつもよりも距離は遠いけれど、ポーラがいつも見上げる彼の姿だった。
ティルグ員である事は知っていた。
その中でも騎士であるという事も知っていた。
でもポーラは、ジャメルの『戦い』を知らない。
(どんな戦い方なんだろう)
それぞれの騎士団の選手が1人ひとり、名を呼ばれる。
騎将と共に全員1度脇へと戻った後、あらためて双方から1人ずつ前へと出てくる。
まずは軽騎士同士の対戦。
前に聞いていたとおり、シルフィス側からはジャメルが前へと進み出た。
舞台にいるのは、若き騎士。
先ほど見た姿とはまた雰囲気が違う。戦う前の気迫を漂わせた戦士。
自分と同じ日に生まれ、同じ国へと辿りつき、でも、目指す物が全く違った1人の男。
それは本当に、ポーラとはかけ離れた存在だった。
いつしかポーラは強く拳を握り締めていた。もう、目が離せない。
舞台の上で剣を構え、騎士達は対戦相手と礼を交わす。
そして、審判の開始の合図と同時に前へと踏み込んだ。

 

それは。
その戦いは。
今まで見た誰の試合よりも。

 

…気が付くと、全ての試合が終わっていた。
騎士と騎将が全員壇上に並び、審判のイクルス勝利の判定が競技場内に響く。
割れんばかりの歓声の中、壇上から騎士達が降りてきた。
観客も騎士達も、少しずつ競技場を出てそれぞれの生活に戻っていく。
そんな中、いつまでも同じ場所に立って舞台を見上げていたポーラを見つけたジャメルは、大またで彼女の元に歩み寄ってきた。
「…どうだった?」
その声にポーラはようやく『動き』を取り戻す。
「…えっ?」
舞台から視線を外して見上げた彼は、試合の疲労も残っているようではあったが、いつもどおりの少し面白くなさそうな表情。眼鏡の奥の目が少し困惑気味にポーラを見下ろしている。
「声をかけたくらいで驚かれてもな…。
 見てたんだろ」
「あ、う、うん。もちろん見てたのよ」
慌ててそう答えた。
「それで、それでね…」
そう、舞台に上がった瞬間から、確かに見ていた。そして…。
思った事、感じた事を伝えようとするのだが、上手く言葉がまとまらない。
「格好のよくないところも見せた気がするが」
一生懸命まとめようとしている時にそう言われて、心の底からびっくりした。
「ど、どこが?
 何かもうすごいじゃないですか!」
まとめも何もかも放り出して、思わず言葉があふれ出た。
「まあ、負けたからな」
「それは2戦目ですよね。でも、それだっていいところまで行ってたのよ。
 1番最初は相手の方の攻撃がかすりもしなかったじゃないですか」
開始の合図と同時に前へ飛び出した。
連続で繰り出される、突風剣、スティングレイ、ヴォルトソード。
対戦相手の技を、受ける、いなす、かわす。
そのまま12カウントを残してKO勝ちしていた。
…ただ、見ている事しかできなかった。
「理想が高いのはステキな事なの。
 でも、理想まで行かなかったとしても、それまでがすごかったら、
 そこもちゃんと評価しないとダメなのよ。
 最初は勝ったんだから、それはすごい事なのよ」
「そう言われてもな…」
「それに、惜しいのとダメなのは、全然違うのよ」
「勝敗にこだわっているわけじゃない。
 ただ、内容が、な」
ポーラの重ねての言葉にも、心が動いたようには見えない。
いや、全く評価をしていないわけではないのだろう。だが、口ではこだわっていないと言っても、やはり2戦目の敗北が引っかかっているようだ。
(なんだか、『最初の試合』がかわいそうなのよ)
(2戦目だって、普通にすごいのよ)
「…わかりました。
 ジャメルさんがしないのなら、私が代わりにするのよ」
「代わりにって…何を?」
「評価です。
 えっと、ちょっと待ってね…」
そう言って腕を組み、少しだけ考える。
ポーラには、ティルグ員の心の動きはわからない。
彼らの評価方法もわからない。
だから。これは彼女なりの評価。彼女自身の心の動き。
まだ全然整理されてない頭の中のイメージの洪水の中から、一つずつ言葉を選んだ。
「あのね。なんていうか、すごく『綺麗』だったの。
 ここから見てると、あの舞台の上で踊っているみたいだったのよ。
 最初の試合も、もちろんその次も。
 えっと…こういうのを剣舞、って言うのかなぁ」
「は、恥ずかしい事言うなよ!」
「え、何で恥ずかしいの?
 だってそう見えたのよ。
 ホントはもっとちゃんとした言葉で表現したいんですけど、全然まとまらないのよ…」
まとまらないまま、それでも彼女なりの言葉で表現したら、ジャメルから不満気な表情は消えた気がする。
その代わり、なぜか微妙に赤くなっているようにも見えた。
ポーラとしては、いつものように自分の心の中身を表現しただけなので、恥ずかしがられる理由がわからない。
そう言えば。ポーラが普段こういう事を言うと、ナディアにも「やめてよ恥ずかしい」と言われている。アンネリースは同調してくれるのだが。
ポーラからすると不可解な羞恥心と戦っていたらしいジャメルは、何とかいつもの調子を取り戻した。
「…まあ、気に入ってもらえたならいいんだ。
 明日も来るか?」
「えっ、明日もあるの?」
「当然だ。
 明日も今日と同じ時間に、ここでやる。対戦相手は違うけどな」
「そっか。良かった!」
「良かった?」
「うん。あのね…。
 あんまり引き込まれてたから、使うの忘れちゃったのよ」
そう言いながら「ほら、これ」と鞄を開けて中を見せる。そこには、市場で購入した応援道具が2つ、購入した状態のまま収まっていた。
「なんだ、わざわざ買ってきたのか。
 別に見に来るだけなら必要ないんだぞ」
「ええー!?」
「今日だって、ほとんど使われてなかっただろ」
「そ、そうなのかな。
 ずっと舞台の上ばっかり見てたから、
 観客席とか、見てなかったのよ…」
「それならわからなくても仕方ないな。
 …さて、そろそろ出るか」
気が付けば、ほとんどの人が退場していた。最上段で試合を観戦していたアントワーヌ陛下も、いつの間にか外に出ていたようで、もう姿が見えない。
ジャメルの言葉にポーラも頷いた。
「そうですね。そろそろ出ましょうか。
 …まだ早いし、また畑に行こうかなぁ」
「お前は本当に仕事が好きだな…」
「だって、あそこに行けば誰かいますから。
 それだけで嬉しいのよ」
「まあ、別にいいんだけどな」
そう言って、ポーラよりも先に出口へと向かおうとしたジャメルが、ふと足を止めて振り返り。
「…まさかとは思うが、使い方がわからないなんて事はないよな?」
ポーラの鞄を指差しながら聞いてきた。
多分、購入した応援道具の事を言っているのだろう。
「うん、大丈夫。
 最初は知らなかったんですけど、お店で買った時にちゃんと聞いたの」
そう言いながら、ポーラは鞄からまず風の花びらを取り出した。
「えっと、これは試合中にパーッと撒けばいいんですよね。
 それで…」
風の花びらを仕舞い、今度は風のクラッカーを取り出す。
「こっちも試合中に使うの。
 人に当たらないように、ちょっと上向きにして、
 それから、この紐を引くんですよね。
 …あれ、何か動かない。よいしょ…」
「ちょ、なんで今引く…」

パン。

ほぼ無人の競技場内に、やけに乾いた音が響いた。
ジャメルの静止は間に合わず、ポーラの手の中のクラッカーは、正常に機能を発揮。
クラッカーからあふれ出る、シルフィスの色のリボン。小さく上がる花火。
「…あー」
思わず妙に情けない声を上げてしまったポーラ。
気が付くと、前にいたジャメルが肩を震わせて声を出さずに笑っていた。
「…一応、念の為に聞くんだが。
 オレを笑わせようとしてやったんじゃないんだよな…?」
尋ねる声には笑いを含む。
「ち、ち、違うのよ?
 ただ勢い余って引っ張っちゃっただけなのよ?
 って言うか、そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」
答える声には余裕がない。
「普通に『よいしょ』って言ったよな」
「ちょっと引いてみたら全然動かなかったんですもの。
 なんか引っかかってるのかと思って…」
「そんな簡単に反応したら危ないだろう。
 しっかり力を入れないと機能しないようにできているんだ」
「そっか」
「まさか作り手も、関係ないタイミングで全力で引っ張られるとは
 思ってなかっただろうけどな」
「だ、だって!
 ジャメルさんが『使い方はわかるか』なんて聞くから…」
「何でオレのせいになるんだよ」
「言われなきゃ試さなかったし!」
「ここで言われなかったら、実際に使う段になって『うまくいかない』って慌てるんだろう」
「…そうかも…」
不毛なやり取りはそれで終わった。
一つため息をついて、ポーラは散らばったリボンを片付けた。まとめて鞄に押し込む。
開けていた鞄を閉めつつ、つぶやいた。
「まぁ、使ったらどうなるかがわかったし、いっか。
 時間あるし、市場に行ってもう1つ買ってきます」
「だから、別に必要ないんだぞ」
「せっかくですから、ちゃんと使ってみたいじゃないですか。
 そんなにお高い物でもないですし、お財布にも余裕ありますし。
 明日はちゃんと使うのよ」
鞄を肩にかけなおし、歩きにくくないように位置を調整して。
それからポーラは、いつものようにジャメルを見上げた。
「じゃあ私、先に出ますね。
 その後畑にも行きたいから、市場にも早目に行かなきゃ。
 それじゃあ、また、明日!」
「…ポーラ!」
出口へと走り出した瞬間に呼び止められ、ポーラは数歩進んで立ち止まった。
振り返るとそこには、いつもどおりの彼。
でもその表情は、いつもよりも少しだけ。
「はい?」
「あの評価、表現方法は正直、微妙だけど…。
 少し楽になった」
それは多分、彼なりの感謝。
あまり直接的な表現をしない彼の、彼なりの表現だった。
それに気付いたポーラは、いつものようにふにゃんと笑う。
でも、その緩い笑顔にこめられたのは、全力の喜び。
「こういうのでいいなら、いつでもやるのよ。
 …でも明日は、もう少し頭の中でまとめてからにしますね」
「ああ、頼む」
その言葉を確認して、ポーラはまた前を向き、今度こそ出口に向かって走りだした。

 

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照れ隠しと言う名のコメント

ちなみにジョシュアさん、試合を見に行った時、3人抜きとかしてました。
でもそれを書くとその後のジャメルさんが薄れるので、全カット(笑)。←ヒドイ

ジャメルさん、この日が国立競技場での『デビュー戦』でした。
それでいきなりアレ(200-0のKO勝ち)ってなんだよ! と、スクショチェック時の中の人は大爆笑でした。そりゃポーラだって釘付けでポカーンとなるわ(笑)。

 

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