199年2日:光の川辺の話-うけとれない-

199年2日。
年明け早々、まだ川の水も冷たいこの日の夕暮れ。ポーラは珍しく光の川辺に来ていた。
仕事一筋、このままローク・エルグに骨をうずめるのではないかという程ワーカホリックのポーラだが、別にまったく体を鍛えないという訳ではない。
学舎に入学したばかりの長男アンタレスを連れ、今日は夕方から、暗くなるまで川辺で泳いだ。

遠くから、夜を告げる鐘の音が聞こえる。
こんな時期に夜中まで冷たい水の中にいたら、自分はともかくアンタレスは風邪を引いてしまうかもしれない。
ポーラは浅瀬で泳いでいたアンタレスに声をかけた。
「アンタレスくーん。そろそろ帰ろうか」
「うん、わかった!」
2人で水から上がり、身支度を整える。
自分の髪をタオルで軽くまとめ、長男の頭をタオルでわしわしと拭いてやる。くすぐったいのか、腕の中でアンタレスがアハハと笑い声を上げて暴れだした。
「あっ! こーら、暴れちゃダメよ。
 …あら?」
ふと気配を感じで振り返ると、川辺の入り口辺りに長身のシルフィス・ティルグ員の男が1人、立っていた。
一瞬、自分の夫であるジャメルかと思ったが…彼はもう少し背が高いし、髪もそれ程長くない。
ティルグ員の証であるその服は、なんだか真新しい。
男は2人の元に近づいてきた。
「あっ、ベネットおにいちゃん!」
腕の中のアンタレスがいち早く気付いて声を上げた。
良く見るとそれは、確かにベネットだった。
昨日まで若いローク・エルグ員の姿だった事もあり、ポーラには一瞬判断ができなかったのだ。
「…何だ、ベネット君だったの。
 こんばんは」
「こんばんはポーラさん、アンタレス」
小さな子供だった頃から知っているベネットは、今ではポーラよりもずっと背が高くなった。
とりあえず頭を拭き終わったアンタレスを抱いたまま、ポーラはベネットを見上げる。
「そういえば今日は2日ですね。お誕生日おめでとう。
 シルフィス・ティルグ員になったのね」
「ありがとうございます。
 ティルグに入れるとは思わなかったけど、選ばれて嬉しいです」
「そっか…。
 エルグ長としては、ちょっとフクザツですけどね。
 でもベネット君が選んだ事ですから」
ティルグ員になると、大概の人はティルグに入り浸る。
ティルグでなくても、この光の浜辺や嘆きの崖でひたすらに訓練を繰り返す事が多い。
その分、エルグに立ち寄って仕事をする事も少なくなるのだ。
それでも、ポーラはいつもどおりにふにゃんと笑う。そして。
「でも、こんな時間に会うなんて、珍しいですね。
 今からここで訓練ですか?」
「いえ。
 …オレ、ポーラさんに言いたい事があって、探してたんです」
「私に?」
「はい…」
ポーラはベネットを見上げつつ、軽く首を傾げた。
…なんだか大事な、でも聞いてはいけない事を言われる気がした。
ポーラは、自分の腕の中にいたアンタレスに声をかけた。
「ごめんねアンタレス君、先に帰っててくれる?
 ママも後から行くから」
「う、うん…。
 わかった。家で、パパと待ってる」
事情がわからないながらも何かを悟ったらしいアンタレスは、殊更に『パパと』を強調すると、ベネットの脇を走り抜けていった。
ポーラとベネットは、アンタレスが洞窟前通りを右に曲がり、その走り去る足音が聞こえなくなるまで見送った。
2人だけになった光の川辺。
月の光と街灯のやわらかい光だけが辺りを照らす。
「それで? どうしたの?」
…さっきからなんとなく、予感はしていた。
聞かないほうがいいんだと判っていた。
けれど、聞かなくちゃいけない気もした。
だから促した。
ベネットはしばらく逡巡していたが、意を決して口を開いた。

「オレと付き合ってほしい…」

それは、ポーラがなんとなく予感していた言葉だった。
まっすぐにポーラの顔を見つめたその顔は、真剣そのもの。
ポーラは一つ、ため息をつく。
一度口を開いた事で、そのまま止まらなくなったらしいベネットは、矢継ぎ早に言葉をつむぎ出す。
「ポーラさんが結婚してるの、ちゃんと知ってる。
 さっきも見てた。幸せそうなのも、知ってる。
 でもオレ、子供の頃からずっと見てたんだ。
 父さんと母さんがいなくなったオレを、すっと気にかけてくれて、すごく嬉しかったんだ!
 だから、オレ…」
「…ごめんなさい」
やさしく、でもキッパリと。相手に余計な期待を持たせないように。
ベネットの目をまっすぐに見て、ポーラは一言そう言った。
気持ちを口にする事をさえぎられた形になったベネットは、少し黙る。
そして俯いて、つぶやくように言った。
「…やっぱり、ダメなのか…?」
「うん。
 あのねベネット君。
 私にとってもベネット君はトクベツなのよ。
 でもそれは、私がジャメルさんの事をトクベツだと思うのとは違う」
「…その呼び方、子供の頃と変わらないですよね。
 オレ、ポーラさんにとっては、まだ子供ですか?」
「ううん、もう、ちゃんとした立派な大人なのよ。
 確かに、私からの呼び方は子供の頃のままだけど。
 ベネット君は、私からすると、自分よりも子供たちの方に年が近いわ。
 でも、私がアンタレス君やレグルス君をトクベツだと思うのとも少し違うのよ」
ベネットは少し顔を上げる。
自分を見上げるポーラの顔が見えた。
その顔は、いつもとは少し違うけれど、柔らかな笑顔。
重なった視線にひるむ事無く。ポーラは笑顔のまま続けた。
「私にとって、ベネット君は、
 ダイスキな親友だったナディアさんの子供で、
 ベッドで無邪気に笑っている姿を見た事もある男の子で、
 そして…私に一番近い『先輩』なのよ」
「先輩…?
 だって、オレの方が…」
「うん、そうね。私の方がずっと年上。
 でも、ベネット君は私の先輩」
「何で…?」
「…。
 少し、昔話をさせてね。
 もう7年も前の事よ」
軽く目を閉じ、ポーラは語りだした。
7年前の明日、初めてこの国に降り立った日の事を。

 

ナルル王国に降り立ち、まだ右も左もわからない時。
きょろきょろと周りを見渡しながら歩いていたポーラに声をかけてくれたのが、当時ローク・エルグ長だったナディアだった。
彼女に連れられて、ローク・エルグにやってくる。
「ここが、あたしたちが働くローク・エルグよ」
人々が笑顔で働くローク・エルグを誇らしげに案内された。
自分もここで、これからみんなと一緒に働くんだ…。
楽しそうな職場の雰囲気に、ポーラはなんだか嬉しくなった。
「一生懸命頑張ります!
 …あ、あの、ウィールクスさん」
当時はまだ知人でしかなかったナディアに、おもいきって声をかける。
「何かしら?」
「先程、他の方のご挨拶を聞いて知ったんですけど…
 ご出産おめでとうございます」
移住者からの突然にお祝いに驚いたようなナディアは、それでもすぐに笑顔を返してくれた。
「ありがと。
 昨日生まれたのよ。ベネットって言うの」
「昨日…。
 私より、1日だけ早く、この国に来たんですね」
「そうね。1日だけ、先輩ね」
「先輩ですか…。
 あの、先輩を見に行っても、いいですか?」
「別にいいわよ」
ナディアは軽く返してくれた。
そしてローク・エルグ長邸宅を指し、「あたしの今の家はそこだから、好きな時に見にいらっしゃい」と言ってくれた。

それは、今はもういない大事な親友との初めてのやりとり。

 

「…ベネット君はね。
 私がこの国に来て始めて会った赤ちゃんで。
 そして、たった1日だけど
 私よりも先にこのナルル王国にやってきた先輩なの」
『昔話』を終えたポーラは、やはり笑顔のままでベネットにそう言った。
「…」
ベネットは黙って話を聞く。ポーラの話すそれは、かつての自分の話でもあり、おぼろげな記憶しかない自分の母の話でもあった。
過去を懐かしむように、ポーラは続ける。
「ベネット君は多分覚えていないだろうけど、
 今、私たちが住んでいる家に、最初ベネット君は住んでいたの。
 歩き出すようになって、ナディアさんの後をついて
 ロークの畑をちょこちょこ走り回る姿も、私はずっと見てたの。
 お父様が亡くなって、入学式の2日後にお母様も亡くなって、
 年の離れたお姉さんと2人だけで暮らすようになった。
 それでもちゃんと学舎に通って、立派な大人になって。
 ナディアさんの後を追うようにロークに入ってくれて。
 私はそれをみんな見ていたの。
 …ナディアさんの代わりに」
「母さんの、代わり…」
「そう。
 私がずっとロークにいるのは、私自身が、
 私が入国した時に良くしてくれた、そして友人になってくれた
 『ローク・エルグ長のナディアさん』の後を追いかけたいと思ったから。
 ナディアさんを追いかけるのは、ロークのエルグ長として頑張る事だけじゃない。
 あの日からずっと見ていた『小さな先輩』を
 先に逝ってしまったナディアさんの代わりに見守る事でもあったのよ」
「…」
無言のベネットを前に、ポーラはまだ続ける。
上手く伝わるかは判らないけれど、これが、ポーラがベネットに思っている正直な気持ち。
「ベネット君は、私がビックリするほど立派な大人になってくれた。
 …すっごく頑張って、ティルグ員になったのね。
 さっきは暗かったから、シルフィスの格好を見て一瞬ジャメルさんと見間違えたけど、
 すごくかっこいいのよ。
 私はそれが嬉しいの。
 …誤算は、ベネット君が私の事を違う風に見てしまった事。
 これは、これにだけは、絶対に応える事ができないの。
 だから…ごめんね」
ポーラは思う。多分自分は、残酷な現実を伝えているのだと。
家族のように、家族ではなく。そんな形で大切には思っている。だけど、男としては見る事ができない、と。
でも、どんなに辛くても、残酷でも。伝えなければいけない事。
大切な子が、自分を見てくれるのは嬉しいけれど、こんな見方ではいけない。
絶対に一緒にはいられない自分ではなく、もっと違う、別の方を向いて歩いていかないといけない。
時々思い出したように、どれだけ立派になったのかを見せてくれるだけでいい。
それだけで、いい。
静かに話を聞いていたベネットは、ようやく、声を出した。
無理矢理作った笑顔は、やはりどこか、痛々しい。
「…ありがとう。
 きっぱり断ってくれて、嬉しかった」
「うん…。
 ティルグに配属されたって事は、
 あんまりエルグには顔を出さなくなっちゃうのかな。
 それは淋しいけど…がんばってね」
「うん…でも時々は行くよ。
 昔からよく行ってた場所だから」
「そっか…」
「…それじゃ、おやすみなさい。
 オレは少し遠回りして、頭を冷やして帰ります」
「おやすみなさい…」
ベネットはポーラに背を向け、そのまま振り返らずに光の川辺から出て行った。
洞窟前通りに出たところでチラリと右を向き、一瞬だけ驚いたような仕草を見せた後、軽く会釈。
そしてメイビ区方面へと歩き出した。
ポーラはそれを、ずっと見送った。

 

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***

照れ隠しと言う名のコメント

きっぱり振られるベネット君のターン。

ゲーム上でも本気でここまでカンペキに「ごめんなさい」できたらいいんですけどねぇ…。
ゲーム上ではいくら断っても「諦めない」方がいらっしゃいますからねぇ。
ベネット君はマジ告白自体はほぼしてこないので、それはそれでドキドキではあるんですが(笑)。

 

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