194年14日:港前大通りの話-相談-

ポーラには一つ、自分で自分に課している課題があった。
何度試してみても、なかなか攻略できない課題だった。
口に出してしまえば、些細な事。
頭の中で実行してみれば、容易い事。
でも、実際にそうなると、うまくできない事。

その課題とは、『恋人の前から逃げない』事。

付き合い始めてから、何度か遊びに行った。
遊びに行くだけではなく、彼の試合の観戦に行ったりもした。
その度に、色々な理由でその場から逃げ出した。
普段、他の人たちにまぎれて普通に話している時は大丈夫なのに、2人だけになった時は踏みとどまれない。
彼女自身がやらかしてしまった事もあり、近付かれすぎて耐えられなくなった事もある。距離感がつかめない。

今までの戦果は、4戦3敗。

いつも一緒にいたい気はする。
毎朝、仕事に行く前に、メイビ区前通りで軽く挨拶を交わすのは、嬉しい。
誘われて遊びに行くのは、嬉しい。
試合を見に行くのは、嬉しい。観客席からあの人を見上げているのは、とても嬉しい。
でも…どうしてもそれ以上近づけない。
ほんの少し指先が触れるだけで、熱を持つ。それだけでいっぱいいっぱいになって、逃げてしまう。
近付きたい。でも近づけない。
扉を開けて向こうへ行きたい。でもその扉が叩けない。
どうして。

その答えを、彼女はもう知っているのかもしれないけれど。
わからないふりをしてるだけなのかもしれないけれど。

 

***

 

国立競技場での試合観戦の後、いつものようにローク・エルグに戻ったポーラは、夕刻、少し早目にエルグから離れた。
ヤァノ市場で買い物をして港前大通りに出ると、そこには夕暮れの人の流れができている。
買い物帰りに市場を出て、それぞれの家へと帰る者。
閉店する前の市場へと走る者。
デートの待ち合わせか、それとも酒場へ向かうのか。王宮前大通りへと向かう者。
昼の時間が長く、夕刻とは言ってもまだまだ辺りは明るい。
ロークス港から吹いてくる海風が人々の間をすり抜け、体にまとわりついた熱気を吹き飛ばす。
そんな流れに紛れ込み、ポーラはいつものように人々と言葉を交わす。
ひとしきりやり取りを楽しんだ後、買った食材(とは言ってもそのまま食べる事のできる物ばかりだったが)を抱えて帰宅しようとしたポーラを、後ろから呼び止める声がした。
「おう、ポーラ」
「ジョシュアさん」
声の主を呼びつつ振り返る。
そこには友人であり、かつての『恋人』であるジョシュアが立っていた。
「買い物か?」
「そうです。色々足りなくって買いに来たんです」
「足りない、ねえ…。
 単に今夜の夕食を買っただけじゃねぇか」
「足りないには違いないのよ。
 買わないと、ごはん無いんですもの」
「作ればいいだろ。
 食材なら、毎日の仕事で手に入るんだから」
「う…あんまり自信なくて…」
「お前なぁ。
 確かに普段料理しないとか言ってたけど、
 やんなきゃ上達しねぇぞ?」
微妙に呆れた顔で諭された。
ジョシュアと話すのは、とても気楽だった。
彼の心の扉はいつも開いている。扉の傍にいつもいて、楽しく過ごせる。
扉の奥に他の複数の女性が見える気がするのも、気にならない。それは恋人同士だった頃から知っていたし、今のポーラにはその扉の向こうへ進もうという気もない。
(ジョシュアさんなら、こんなに簡単なのになぁ)
そんな事を考えながら見上げていたら、
「…なんだよ人の顔ジロジロ見て」
反応された。
「イイオトコだってのはわかるけどな、そんなに見んなって」
「そんな理由じゃないですよ!」
そして軽く流された。
いつもどおりの軽いやり取りをかわしながら、ポーラはふと考えた。
今更ジョシュアの扉の向こうへと進む気はないけれど。
こんなにあっさりと扉に触れる事ができるジョシュアなら、今自分に課している課題の攻略について手掛かりをくれそうな気がする。
空振りでも、今までどおり明日から自力で頑張ればいいだけ。
そう思ったポーラは、ジョシュアに切り出した。
「ねぇジョシュアさん」
「あ? なんだよ」
「あのね、ちょっとだけ付き合って欲しいの…」
軽い気持ちでそう言ったら、全力で却下された。
「お、オイ、いきなり何言い出すんだ。
 オレはもう、お前と付き合う気はねぇぞ」
「え? あ、そういう意味じゃないのよ。
 私もそんな気はないのよ。
 …そっか、この言い方じゃ誤解を招きそうですね」
ポーラも慌てて否定する。
危うく大変な事になるところだった。きちんと断ってくれたジョシュアに心の中で感謝する。
「…ったく。
 もうちょっと考えて口に出せよな。
 で、なんだよ」
「うん、えっと、聞いて欲しい事があるんですけど…」
言いかけて気付く。
この話は、意外と長くかかるかもしれない。
「ジョシュアさん、どれくらい時間あります?」
「そうだな。
 後は騎士亭に行って帰るだけだし、特に時間に区切りはねぇ。
 って、なんだよ。その話長いのか?」
「長くなったら困るな、って思ったんです。
 どっちにしても、座って話しましょうか。
 その方がいいですよね」
そう言いながらポーラは、ジョシュアをベンチに引っ張っていった。

人の流れからは離れた、でも人の流れは良く見えるベンチに、2人並んで座る。
促されるままに、ポーラは今の状況をジョシュアに語った。
「何か、よくわかんなくなっちゃって…。
 どうしてできないのかなぁ。
 どうして逃げちゃうんだろう、って」
「…ハァ?
 バカじゃねぇのかお前は」
間髪入れずに罵倒された。
「ええーっ?」
「そんなの、『特別』だからに決まってんだろ。
 どうでもいい相手からは逃げたいなんて思わねぇんだよ」
「でも…」
ジョシュアの言うとおり、相手は『恋人』だ。特別には違いない。
でも、それなら他の人たちよりも仲が良いという事なのだから、もっと近付きやすいのではないだろうか。
気楽に触れられるのではないだろうか。
考え込んだポーラを見て、ジョシュアは軽くため息をついた。
「お前、普段は思いつきで色々行動するワリに、
 こういう事はまず頭で考えようとするんだよなぁ」
「だって…」
「結局試した方が早いんだろうな。
 もうお前に対してこういう事する事はないと思ってたんだけどなぁ。
 …ほら」
ぼやき気味に言うと、ジョシュアはいきなり右手でポーラの肩をつかみ、グイと自分の方へと引き寄せた。勢いに負けたポーラはバランスを崩し、ジョシュアの胸元にもたれかかる形になる。
「ちょ、ちょっとジョシュアさん、いきなり何ですか」
ポーラの抗議に耳を貸さず、いつもの調子でジョシュアは声をかけた。
「どうだ?」
「どう、って…とりあえず肩が痛いです」
「あー悪りィ。力の加減間違えた」
右手の力を緩め、ただ体を支えるだけにする。
体勢はそのままで、あらためて尋ねた。
「で、どうだ? 嬉しかったり嫌だったりするか?」
そう言われたポーラは、しばらく考えこんだ。
「…ううん、全然」
考えた結果、返した回答はかなりあっさりした物。
ジョシュアはガクリと肩を落とした。
「全然…、それはそれで問題があるんだけどな。
 お前には誰か男に触られて嫌だって感覚はないのか」
「ジョシュアさんからは前から頭ポンポン叩かれてましたしねぇ。
 さっきも私が普通にここまで引っ張ってきましたし」
「そうか、これはオレじゃ駄目か。そりゃそうだよな」
「さすがにこんなにくっついたのは初めてですけど、
 ビックリしただけかなぁ」
ジョシュアは左手を軽く額に当てた。少しだけ考えて、質問を変える。
「じゃあ、オレじゃない別の男だったらどうだよ。
 例えば、バルトロメイとか」
「イヤって言うより、困ります。
 だって、バルトロメイさんは数日前に結婚したばっかりじゃないですか。
 そういう方に肩引き寄せられても、ちょっと…。
 それでなくても…」
「そういう問題じゃねぇ」
即座に返ってきた答えに、ジョシュアはあらためて脱力した。
まだ続きそうな発言をさえぎり、ため息をつく。
彼にもわかる。ポーラは大真面目だと。
ただ、思考の方向が的はずれなだけだ。
本来ならその考え違いに全力で突っ込みたいところだが、そこから始めるとおそらく夜が開ける。
彼女の疑問は別の事。そちらを解決するのが先だろう。
想定外の反応で、当初考えていた説明とは違った形になりそうだが、何とかなる。ジョシュアはそう考えた。
手を離してポーラを元の位置に押し戻す。
「…まあ、この件については今はいいや。今度、気が向いたらな」
ジョシュア自身は右腕をベンチの背もたれにかけ、軽く体をポーラの方に向けた。
ポーラもきちんと座りなおした。もう一度軽く抗議する。
「もう…ジョシュアさん、いきなり何するか全然わかんないんだから」
「お前にだけは言われたくねぇ。
 で、だ。
 そいつだと駄目なんだろ」
「え?」
「だから、直接近付かれるのが、だよ」
「近付かれ…」
そう言われて、ポーラは直前の状況を思い返した。
あれがもし、ジョシュアじゃなくて…?
そう考えた瞬間、音が聞こえそうなほど一気に赤面した。
「こ、こ、こんなのされた事ないですよ?」
直前までの、のんびりした彼女らしい空気はどこかへと吹っ飛んだ。
両手を激しく横に振りながら、慌てて否定する。
「え、じゃあ何されたんだよ」
「何って…べ、べつに…」
目をそらす。数日前にちょっと手をつないだだけとは言いにくい。
ありがたい事に、ジョシュアは何があったのかに興味はないらしく、そのまま話を進めてきた。
「その反応からすると、これ以下って事だろ。
 たいした事じゃないんだろうけど、そこは別にどうでもいい。
 少なくとも、さっきみたいに平気じゃない、と」
「うん…」
それは間違っていない。もし平気なら、こんな話もしていない。
「でも、嫌なわけじゃないんだよな。むしろ大歓迎なんだよな」
そう言われ、思わず腰を浮かしかけた。
「だ、大歓迎とか、無理、無理無理!
 逃げます!」
「おおっと、仮定の話で逃げるなよ」
言われて少しだけ冷静になる。
確かに今は、仮定の話しかしていない。
自分から相談をしたのに、その話題になったからと言って逃げる事自体おかしい。
ポーラはあらためてベンチに座りなおした。
落ち着いたポーラを見て、ジョシュアは先を続ける。
「そりゃな、少なくともお前がそいつの事を
 オレや、他のオトコの事よりは気にしてるって事なんだよ」
「確かに気にしてますよ。
 一応、恋人なんですから」
「それ多分、『肩書き』としてしか認識してなかっただろ」
「え?」
「気持ちが追いついてなかったんじゃねぇか、って言ってんだよ。
 どういう心境の変化があったのかは知らねぇけど、
 ようやく肩書きに気持ちが追いついてきたって事だろ。
 相手の事が気になって仕方がない。
 気にしているから、近付きたい。
 だけど、気にしているから妙に意識してる、って事じゃねーか」
「意識…ですか」
ジョシュアの少し乱暴な物言いは、現状に混乱しているポーラの状況を少しずつ形にしていく。
ざわざわした気持ち一つ一つを『あるべきところ』へと確実に収めていく。
それは、こんな状況に不慣れなポーラには、決して簡単には出来ない事。
「適当な興味までなら、そりゃ相手に近付くのは簡単だ。
 でもな、ある一線を越えると、逆に怖くなるんだよ。
 なんかやらかして、変に思われたらどうしよう。
 都合の悪い事を言って、嫌われたらどうしよう。
 相手に近づけないのも、まぁ似たようなもんだろ。
 距離感が直接的でわかりやすいからな。
 自分から行こうとして、拒絶されたら、とか。
 相手から寄ってきたのに、がっかりされたら…とか。
 そうやって不安が増していくんだ」
「ジョシュアさんも、そうなの?」
「まぁそりゃオレだって多少は…いや、どうでもいいだろ」
軽くはぐらかされた。
ジョシュアの現状についても気になるが、それよりも今は自分の事が先だ。
ポーラは今までの自分について思い返した。
今年頭に自分から告白した事。
誘われて、初めて遊びに行った事。
雨宿りをしながら話した事。その後の事。
初めて試合を見に行った時の事。
その間の自分の気持ちを思い出す。
「…確かに、私、最初は『おためし』でした。
 だから前は、そんな事心配だったりしなかった」
「心は、その期間を通り過ぎたんだな。
 …つまり、だ。
 お前はもう、そいつの事がちゃんと好きなんだよ」
なんとなく感じていた事をわかりやすい言葉で指摘され、思わずポーラは黙り込んだ。
そんな気はしていた。多分、古城に行った日から。
これは『恋』なのかもしれない、と。
でも、それがどういう事なのかを理解はしていなかった。
ジョシュアはさらに続ける。
「気にして、意識している相手との距離が、自分の考えてる以上に近くなるから
 過剰に反応して逃げんだろ。
 それに関しては、おかしくもなんともねぇよ。
 …納得したか?」
「うん…。
 …やっぱり、そうなんですよね」
「何だよ元気ねーな。
 頭で考えてた肩書きに、心の方も追いついてた、って事だろ。
 何でそれで元気なくなるんだ」
そう言いながらジョシュアは、ポーラの頭をワシワシと撫でた。
「やめてー!
 ただでさえまとまってないのに、ますます髪がめちゃくちゃになっちゃうじゃないですか!」
慌ててポーラはジョシュアから少し離れた。両手で髪を整えながら、涙目で抗議する。
ジョシュアはニヤリと笑った。それはいつもの『全てを面白がっている』笑顔。
「なぁ、アイツだろ? お前の相手って。
 今年騎士になったシルフィスのでかいの」
「でかいの…。
 まぁ確かにジョシュアさんよりも大きいですよね」
釈然としない表現方法ではあったが、間違った事は言っていない。
ポーラは微妙な表情で同意した。そして尋ねる。
「って、何で知ってるの?」
ジョシュアは心底呆れたような顔をした。
「…お前、それマジで言ってんのか? 結構有名だぞ。
 それでなくても目立ってんだから。お前も、相手も」
「な、何で?」
「自覚ねぇって、怖いな。
 お前は去年のエルグ長。
 去年入国して、翌年にはエルグのトップを任される程、周りから信用されてるって事だ。
 相手の男だって多分、騎士になった年で言ったら歴代最年少。
 目立った事やった人間ってのは、記録そのものだけじゃなくて、本人だって目立つんだよ。
 …まぁ、お前の場合はあまり『男にそういう意味で狙われてる』ように思えないんだけどな」
「何かヒドイ事言われてる気がします…」
最近、何人かの友人に声をかけられているという事は言わなかった。
そのうち1人はかなり真剣で、何度も告白されているという事も、もちろん言わなかった。
でもそれも、もしかしたらそういう事だったのかもしれない。
「しかも、去年の暮れに散々相手から仕掛けられた挙句に
 結局お前が、人前で告白したんだろ」
あまり聞きたくなかった過去の恥ずかしい話を不意打ちで提示され、しばらく落ち着いていたポーラの頬がまた赤くなった。
両手をバタバタと振りながら全力で主張する。
「や、やーめーてー!
 それ言うの禁止ー!
 だからなんでそんなに詳しく知ってるのー?」
「だから、有名なんだって言ってるだろ…」
気が着くと、辺りはかなり暗くなっていた。
少し前に市場も閉まったらしく、人通りもかなり少ない。
夏至に近い時期だから街灯も点っていないが、それも時間の問題だろう。
ポーラの反応をニヤニヤ笑いつつ眺めていたジョシュアだったが、辺りを見回すと、軽く伸びをして立ち上がった。
ポン、とポーラの頭に左手を乗せる。
「ま、自分の気持ちが少しでもわかったなら、後は簡単だな。
 周りはもう、どうすることもできないぜ。
 進むも戻るも、お前次第。
 やり方は色々あるだろうけど、直接ドーンとぶつかってくしかねぇんだ。
 好きなように頑張れよ」
「…はーい」
「って事で! オレに感謝しろよ。
 お前が落ち着いたら、飲みに行こうぜ。
 その時は、この日の礼って事でお前のおごりだけどな」
「ええーっ?」
「安心しろ。
 リゼル・ココモ1本と、つまみ1品くらいで勘弁してやるから。
 じゃあな!」
まだ少し赤いままの、そして少し困ったようなポーラの顔を見てニヤリと笑い。
ジョシュアはヒラヒラと右手を振りつつ、1人で王宮方面へと歩きさった。

 

ジョシュアが去った後。
ポーラはまだ、ベンチにいた。
既に人影はなく、街頭も明かりが点り、辺りに柔らかな光を投げかけている。
ポーラが思ったとおり、ジョシュアから手がかりはもらえた。それは彼女が思っていた以上に明確な物だった。
でも。
少しうつむき加減で、そっと、つぶやく。
「でも。それは、まだ…」

その声は、誰にも届かない。

 

 »


 

***

照れ隠しと言う名のコメント

…ジョシュアさん愛してる!(書きやすい的な意味で)

作中のマジ告白の友人ってのはバルトロメイさん(新婚さん…orz)とウジェーヌさん(モテキング)です。
ウジェーヌさんは、ジャメルさんと同じ「マジ告白アタック」タイプ。
これが起きるタイミングがずれてたら、ポーラの運命も変わってたかもしれないなぁ…と思います。
ただ、ウジェーヌさんのマジ告白アタックは、ポーラ結婚後に激化したのですが…orz

 

 »


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です