194年25日:アラクトの辻の話2 -彼女の不安-

「お前の仕事仲間は、いつでもああなのか」
ジャメルはベンチから立ち上がり、ポーラの横に立った。
2人で柵に寄りかかり、湖を眺める。
クリステアの尖塔からの光が、2人をやわらかく照らし出した。
「そうです。
 …少なくとも、私が行くといつもそうですね」
「オレも時々は誘われて飲みに行く事もあったが、今日のは正直驚いた。
 多分次に恵み亭で飲む事になったら、今日の事を周りから
 ひたすら聞かれる事になるんだろうな。
 少なくとも、エミリアンにつかまったら逃げられそうにない」
「アルキサさんですか。
 フフッ、それはちょっと、覚悟しておかないといけませんね」
ジャメルの横でくすくすと笑っていたポーラ。
その笑い声が途絶え、ポーラはふと真面目な顔でジャメルの方に向き直った。
「…どうした?」
「ジャメルさん…。
 あれが、『私の世界』です。
 同じように、ジャメルさんの世界もあるんですよね。
 ティルグにいるジャメルさんとか、…あんまり想像できないけどシーラにいるジャメルさんとか。
 これからは少しずつ、お互いの世界にも触れていく事になるんですよね」
「『想像できない』は余計だが、確かにそうだな」
同意しながらも、ジャメルはかすかな違和感を感じていた。
先ほどまでの楽しげな彼女とは、何かが違う。
ポーラは一体、どんな方向に話を持っていこうとしているのか。
「…あのね。多分、『家族になる』って、そういう事でもあって。
 今までは相手だけを見てればよかったんでしょうけど、
 きっとこれからは、そうは行かない。世界は広がっていく。
 『私を取り巻く世界』から『私とジャメルさんを取り巻く世界』へ。
 …私が昨日、教会で感じたものがあるとしたら、
 それは、そんな新しい世界を受け入れる覚悟なんですよ」
彼女が出してきたのは、昨日、教会で式の予約をした時の話。
「心の準備はいいか」と聞いた時、彼女は確かに、笑顔で「もちろん!」と答えた。
何の躊躇もなく、臆する事もなく、本当に嬉しそうに。
だが、今の彼女はどうだ。
普段の笑顔はなりを潜め、変わりに浮かんでいるのは、迷い。
いや、迷いとも違う。これは…。
「私は平気。何処にでも行けますよ。一緒に。一緒なら。
 でも、ジャメルさんは、大丈夫ですか?
 …ううん、信じてない訳じゃないです。ただ…。
 今日、恵み亭の雰囲気の中にいた時に見てわかったんですけど、
 多分、あのノリ、相当苦手ですよね…。
 何ていうか、ビックリするほど負担になっちゃうんじゃないかなぁ、って…」
浮かんでいるのは、『不安』だ。
さっきまでジャメルが浮かべていたような、相手に対する不安。心配。そして。
「やっぱり気付いたのか。
 あの時お前はは話の輪に入っていたから、オレの事は見てないと思っていたんだが…
 …確かに、あまり得意な方ではないが…」
ジャメルは正直に答えた。
こんなところで取り繕っていても仕方ない。仮に隠していたとしても、いつかはばれる。
自分はこの先、彼女と2人で進んで行く事を選択しているのだから。
だからこそ、この後に続いたポーラの発言に仰天した。
「ど、どうしてもダメなら…。止めますか?
 昨日の約束も、それまでの思い出も全てなかった事にして」
「…!
 お前、一体何言っ…」
「だって!
 だって、私見たくないです。
 私と一緒にいる事で苦しくなっちゃってるジャメルさんなん、て…。
 あ、あれ? 待って待って。何で?」
言葉と同時に、ポーラの両の瞳から涙が溢れ出す。
突然の出来事に、ジャメルはそこから動けない。
彼女自身も想定外だった自分の涙に混乱している。
混乱しつつも、彼女は言葉を生み出して行く。涙と同じように、言葉も止まらない。後から後からあふれ出す。
「でも、それは多分、私の方がダメです…。ずっと一緒にいたいんです。
 だから、慣れてもらうしかない。理解してもらうしかない。
 すごく負担かけちゃう。
 ジャメルさんの平穏は、多分なくなっちゃう。
 …ごめんなさい。何か私、今すごく我侭言ってる。
 ジャメルさんと一緒にいたい。
 今の世界を失うのも怖い。
 だから、何一つ失わずに何とかしてもらおうと思ってる。
 そんなのズルイだけなのに。
 でもそうしたら、変わるのはジャメルさんになる。それも怖い。
 私が変わるのも怖い、ジャメルさんを変えてしまうのも怖い。
 ごめん…ごめんなさい…。
 何か、言ってる事、めちゃくちゃですよね今。
 何で、何でいきなりこんな事考え出しちゃったんだろ。
 ちょっと待って、まって、落ち着くから」
そう言いながらも、彼女の涙は止まらない。
不安。
心配。
そして、最後の感情は、恐怖。
こんなポーラは初めて見る。
ジャメルが今まで見続けてきた彼女は、いつでもどこか余裕があって、どんなことも笑ってかわせるような娘だった。
周囲で起きるすべての事を造作もなく乗り越える、言ってみればジャメルよりもよほど『心の強い』娘だと思っていた。
その彼女が、今、目の前で苦しんでいる。
事情は違えど、これはさっきまでの自分と同じだ。
相手の事を考えて、考えすぎて、間違った方向へと進んでしまっている。
「…ポーラ!」
思わずジャメルは手を伸ばす。
そして、そのまま強引に彼女を抱き寄せた。
ともすれば崩れ落ちそうになる彼女の体を両手で支える。
自分が間違いに気付かせてもらったように、今の彼女に間違いを気付かせる事ができるのは、また自分だけだ。
どうすればいい?
どうすれば、彼女をいつもの彼女に引き戻せる?
「…泣くほど嫌なら、そんな事言うんじゃない」
「すき。だいすきなの。
 ずっと一緒にいたいのよ。
 でもそれでジャメルさんが苦しいのなら、きっと、離れた方がいい。
 でも多分、私には、そんな事できない。
 気付いちゃった、気付かなきゃよかった。
 でもいつかは気付く事。いつかはわかる事。
 どうしよう。どうしたらいいんですか」
「オレがいつ、苦しいとか、離れたいとか言った?
 ただの仮定で気に病まなくていい。
 …それに、そんな覚悟なら、とっくの昔にできているよ」
ポーラが驚いて顔を上げる。
涙に濡れるポーラの視線を正面から受け止めた。
「で、でも今日は…」
「覚悟はできていたよ。
 お前と一緒にいたいと思った時点で、既にな。
 でも、できていても対応できるかどうかはまた別の話だ。
 今日は突然だったからな。
 もちろん、すぐに何もかもに動じなくなる訳じゃない。
 少しずつやって行くつもりだ」
「少し、ずつ…?」
「少しずつ、だ。
 もちろん時間はかかるだろうが、これはやらないといけない事だ。
 昔のオレならわからない。
 だけど、今は。
 今までの静かな世界とお前のいる世界のどちらかを選べといわれたら、オレはお前を選ぶ。
 誰に強要される事もなく、オレ自身の意思で」
彼にできるのは、つたないながらも、自分の言葉で伝える事だけ。
言葉は飾れない。ただ、そのままを。
ただ、抱きしめる腕に力をこめた。
「大げさな言い方をするなら、これは、オレの戦いだ。
 乗り越えて行くべきものだ。
 だからポーラ。回避なんてさせなくていい。
 離れるとかしなくていい。
 ただ、すっと側にいて、手伝って欲し…」
彼女の目を見ながらそこまで言って、ギョッとした。
1度止まりかけたポーラの目から、また、あとから後から涙が溢れてきている!
「…って、な、泣くな!
 何で今の話の流れで泣くんだ!」
「な、何で、って…。
 そんな事言うからですよ!
 すごく嬉しいからですよ!」
「お、オレが悪いのか!」
「他に誰が悪いって言うんですかー!」
うわーん、と言う表現が似合いそうなほど、ポーラは勢いよく泣き出した。
両手でジャメルのティルグ服をしっかり掴み、子供が親にしがみついているような有様だ。
ただ、さっきまでとは違う。苦しそうではない涙。
…しかしどうやら、落ち着きを取り戻させるのは失敗したらしい。
(慣れない事をしても、なかなか上手くいかないもんだな)
ジャメルは一度天を仰ぎ、ため息をついた。
そして、ポーラの背中をできるだけ優しくたたいた。
「わかったよ、悪かった。
 好きなだけ泣け。
 オレはここにいるから。
 ずっと一緒にいるから」
なだめるように。
何も心配ないとわからせるように。
そうして彼女が落ち着くまで、ずっとそこで抱きしめていた。

 

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照れ隠しと言う名のコメント

アラクトの辻の話、その2。

『恋人』から『夫婦』『家族』になるのに必要なのは、その相手とずっと一緒にいる覚悟と、その相手の周りを、事情をまるっと受け止める覚悟なんじゃないかと思います。
前者は恋人時代にいくらでも勝手に育ちますが、後者はやっぱ、本人達がしっかり意識しないとねぇ。
うちの2人の場合、自分の世界と相手の世界があまりにも違うので、先にポーラが心配する事になりました。

この2人の「不安」の共通点。それは、「自分は覚悟完了なんだけど、(相手は)大丈夫なの? アナタの相手はホントに自分でいいの?」です。
そういう辺り、ホントは婚約前とかにしっかり双方が心の準備をして、その後で予約を入れるってのが正しいんでしょうけど、うちの2人は何かものすごく盛り上がってしまって教会前イベントすらすっ飛ばしてしまうような親密度の上がりっぷり(笑)だったので、婚約後にちょっと我に返ってもらいました。(片方酔っ払ってるけど)
これでどっちかが「ゴメン、やっぱ無理!」とか言い出したら、どうするつもりだったんでしょうねぇ!(書いたのお前だろ)

って言うかこの話、実は当初のプロットにはありませんでした。
最初は「恵み亭→ジャメルさんの不安にチューで答える→帰宅時のネタ→30日の話」の流れだったんですよね。30質に答えてる時に浮かんでたのはこの流れ。
それが、プロットを箇条書きにしている時にここの話の流れがふと浮かんできまして、「そうね、ジャメルさんが不安になる要素があるなら、多分ポーラ側にもあるよねー」程度の気持ちで追加してみたんですが…。
プロット入力中に、ポーラ大暴走。
書いてる時の中の人とポーラたちとの脳内やり取りみたいなのを表現するなら、

 ポーラ「でね、こういう話があってですね。
     こんな感じになるんじゃないかと思うんですよ」(←ウフウフしている)
 中の人「ふんふん、…って事はその展開に持って行くならここがこうなるから…」
 ポーラ「そう! で、そこからこんな事を私が言って…(ぶわっ)(涙ボロボロ)」
 中の人「…うわっ、まてまてまてー!
     仮定の話でいきなり1人で盛り上がるんじゃなーい!
     大体、こんな話の時にオンナノコの方が泣き出したら、
     例え嫌だったとしても肯定するしかなくなっちゃうじゃないか!」
 ポーラ「嫌なのー? うわーん!」
 中の人「いやどっちにしてもジャメルさんは否定しないと思うんだけどさ。
     それにしたって見た目卑怯くさいじゃないか!
     …じゃ、ジャメルさーん!
     とりあえずこのアンタのヨメをどうにかしろーい!」
 ジャメル「そ、そんなどうしようもなくなってから頼るなよ!」
 中の人「そんなん言われても、こっちだっていきなりやらかされたんだから
     どうしようもないじゃん!」
 ポーラ「ふぇーん!」

こんな感じorz ホントどうしろとorz
自分で振っといてなんですが、どうやらポーラの心の琴線に触れる内容だったようです。
話の中ではジャメルさんがオロオロしてますが、書いてる中の人はもっとオロオロしてました(笑)。
実際、中の人としては泣かせる気など毛頭なかったのですが…。
ポーラが自力でソッチに行ってしまった結果、恋するオンナノコの可愛さになったのか、単なる情緒不安定な娘になったのか、微妙なところですorz
まぁポーラ的には「ずっと一緒」って言う、ある意味一番嬉しい言葉をいただけたのだから満足でしょ。

…ちなみに。
この中でジャメルさんの言っていた「オレの戦い」ですが。
結婚後の勝率はまぁ…五分五分くらいです。
多少の盛り上がりには動じる事もなくなりましたが、一人でそういう中に放り込まれると、まだまだ全然対処できないっぽいですよ。(twitter上の5系祭りで露呈してます(笑)。ログがないのが残念だ)
まぁその割に、「泣いて支離滅裂になってるオンナノコにはとりあえず謝る」という対処法は、本能的に身についていたようです(笑)。こうなってる時は、理性的な事何言っても無駄だよね、ネー。

 

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