193年4日:ヤァノ市場前の話 -ふぁーすといんぷれっしょん-

「…やあ、ジャメルじゃないか」
193年4日、夕1刻。
年が変わって数日。雪こそ降らなくなったものの、まだ肌寒い季節。
訓練道具を買うためにヤァノ市場へと向かうジャメルは、後ろからの声に呼び止められた。
振り向くと、友人であるエミリアンが歩いてくるところだった。
「おう、エミリアンか」
「元気か?」
「元気だよ」
「今から市場か? 僕も行くよ」
エミリアンを待ち、2人で市場まで歩き始める。
エミリアンはローク・エルグ員。
ジャメルはシーラ・エルグ員にしてシルフィス・ティルグ所属。
普段はなかなか会わないが、エミリアンの事は自分が子供の頃から知っている。
友人として認めてもらったのは自分が成人してからだが、たまに会っては他愛のない話をすることのできる数少ない相手の1人だ。
「お前、今日もまだ訓練に行くのか」
「ああ、そのつもりだ。
 その前に市場で訓練道具を調達しようと思ってきたんだ」
「そうかぁ。
 お前はホントに強くなりたいんだなぁ。
 僕は武術にそこまで興味無いから、お前の話は結構新鮮で楽しいよ」
「そんなもんか…?」
「今僕が興味あるのは、武術よりも自分の子の事かな」
港前大通りをヤァノ市場に向かって歩く。
この時間は、休日ということもあって、市場へと行く人、市場から出てくる人で少しごった返している。
人の多い場所特有の混沌とした雰囲気の中、2人は市場へと足を運び…

「…ふにゃっ!」

突然、ジャメルは真正面から何かにぶつかられた。
胸元に感じた軽い衝撃に驚いて前方を確認すると…誰もいない。
そのまま視線を下に下ろすと、そこにはいかにも『今転びました』と言わんばかりの少女が倒れていた。
「…おい、大丈夫か?」
とりあえず手を差し伸べる。
「スイマセンありがとうございます…」
差し出された手を取って、少女が立ち上がる。
(…ちっさ!)
彼女はジャメルの胸元辺りまでしかない。
少女は「いたた…」とつぶやきながら体を叩いて、服に付いてしまった砂を落とす。
そして頭に手をやり、「…あっ、帽子!」と慌てて辺りを探し始めた。
そんな彼女にエミリアンが声をかけた。どうやら転がった帽子は彼が即確保していたらしい。
「はい、スターさん帽子。気をつけてね」
「あ、アルキサさんありがとうございます!」
エミリアンに『スターさん』と呼ばれた少女は、受け取った帽子をかぶってエミリアンに微笑んだ。
それからジャメルに向き直る。
「ごめんなさい、いきなり走り出そうとして。前方不注意です…」
どうやら彼女の基準からしてもジャメルは長身らしい。見上げる首が限界まで倒されているように感じた。
そんな彼女の表情は、これ以上ないんじゃないかという程に申し訳無さそうで。
ぶつかられたのはこちらなのだが、むしろ自分の方が悪いんじゃないかという気すらしてくる。
「ホントはきちんとしたお詫びをしたいんですけど…」
「いや、そんな大した事じゃない。
 むしろ吹っ飛んだお前の方がダメージ大きいんじゃないのか」
「いえ!
 やっぱりやらかしてしまったには違いないので、なぁなぁってわけにはいかないのです!」
…なんだか微妙にオーバーな物言いだ。
彼女は手持ちの荷物をゴソゴソと探り始めた。
「これ、お詫びって事で、お納めくださいませ…」
ジャメルの顔を真剣な表情で見つめつつ、両手でそっと渡された物は…。

ロツパン。

(…え、ええー?)
思ってもみなかったモノを渡されて、呆然とした。
「今日はちょっと、たいしたモノ買ってなかったんで、こんな形にしかならないんですけど…」
「いやこれはそういう問題じゃ…」
「はわわ、も、もう時間無いです!
 ホントゴメンナサイ! そ、それじゃ!」
ジャメルの心からのツッコミを遮るように慌しく謝罪の言葉を発し、少女は左手で帽子を押さえつつ、ジャケットの裾をはためかせ、王宮方面へと走り去って行った。
…正直、あまり足は早くなかったが。

 

「…な、なんだアレ…」
ジャメルは『嵐』の走り去った方を呆然と見送った。
気がつくと、自分の横でエミリアンが声も出さずに笑っている。
「エミリアンは、今の子の事を知ってるのか?」
「…え?
 そうか、お前は会った事なかったのか。まぁ、確かに接点無さそうだしな。
 彼女はポーラ・スター。うちの今年のエルグ長だよ」
一瞬、想定外の単語が聞こえた気がした。
「気のせいじゃなければ『エルグ長』って言ったか?」
「あぁ、言ったよ」
「…は? ど、どう見ても子供だろ今の」
「いやいや、彼女は確かお前と同じ年だよ。去年この国に移住してきたんだ。
 今は多分、評議会に出るために急いでたんだな」
よくよく思い返してみると、確かに彼女の恰好はエルグ長のそれだった。
被り慣れていなさそうな帽子に、あの身長にはちょっと丈の長すぎるジャケット。
『着こなしている』と言うよりは『着られている』とでも言うのだろうか。
「…大丈夫なのかロークは」
「エルグに寄り付かないお前には言われたくないなぁ」
痛いところを突かれた。
「彼女、ああ見えてめちゃくちゃ働くんだ。
 だからこそ年末の選挙で候補者として名前上がったんだけどさ。
 お前がティルグでひたすら上目指してるように、彼女はエルグで頑張ってるんだよ」
「それにしたって、2年目でエルグ長かよ。
 シーラよりは確かに、やったらやった分だけ上に行けるチャンスはあるんだろうけどさ…」
…すっげーワーカホリック…。
ぼそっとつぶやいた。
横で聞いていたエミリアンが笑う。
「ハハ、確かにお前とスターさんとじゃ、見てる方向が全然違うよな」
「だよな、あまりにも世界が違いすぎるだろ」
そうして2人、市場に向かって歩き始めた。

「持っていけるだけ訓練道具を買おうと思ってたんだが…これ、どうするかな…」
「訓練時の弁当にでもすればいいじゃないか。たまにはいいだろ、こういうのも」
「そりゃ、そうなんだろうけどな…」

 

 

これが、なれそめ。

 


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